高校教師(1993年)学生の頃と、大人になってから見るのとでは印象が違う!
1993年の初放送時、かなりの話題になったドラマで、まだ中学生だった私も、例にもれず毎週欠かさず見ていました。
ラストシーンの描写も曖昧で、どう解釈するかでかなりの議論を呼んだそうですね。
しかし当時の私には、想像力の乏しい中学生だったためか、真田広之さん演じる羽村と桜井幸子さん演じる繭が心中したのだな、というくらいの印象しか残りませんでした。
実をいうと、それ以外の過激な描写(暴力やきわどいシーンなど)にばかり目が行って、ストーリーや登場人物の心の機微まで考えていなかったのです。
そしてつい数年前、再放送で「高校教師」を放送すると知り、昔見ていた頃が懐かしくなり、録画して全話一気に見直しました。
大人になって見ると、中学生の頃の印象と全く違う!と衝撃を受けました。
もちろん最終回もの印象も全く違って、ただ、電車に乗る羽村を繭が追いかけてきて、目的地に到着する前に心中してしまったのだとばかり思っていたのが、そうともとれるけれどそうじゃないとも解釈できる、実に曖昧で、ある意味夢のあるラストだったのだと初めて知りました。
私は、二人とも死んでいないという解釈に落ち着きました。
登場人物の心の内を推測して、死にたいのかもしれない、でも、生きることだってできるだろうと思ったのです。
こんなふうに、若い頃と大人になった現在とでは、同じドラマでも伝わることが違うのだと強く印象付けられた、思い入れのラストシーンでした。